3月17日 仙台で星野さん解放行動
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- 2019年5月4日
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四国更生保護委員会の星野さんに対する仮釈放可否が最終局面に入っていた3月17日、元鍛冶丁公園を出発した改憲・戦争阻止!大行進みやぎのデモは「星野さん解放」をメインに掲げ、道行く人たちに星野さんの即時解放を訴えました。仙台市内でデモ行進で星野さんの解放を呼びかけるのは初めての試みでした。星野さんへの仮釈放不許可決定を許さず直ちに行動に立ち上がりましょう。3.17みやぎ星野解放行動に続きましょう。
この大行進は、事前の実行委員会で「3月は、星野さん解放をメインにしたデモにしよう」と提案があり、横断幕もメッセージボードも旗もゼッケンも「星野さん奪還」をたくさん出そうと決まりました。みやぎ星野文昭さんを救う会を立ち上げてから11年が過ぎましたが、仙台で星野デモは初めてです。直前でしたが、星野さんの友人の高崎経済大のOBの方たちや、みやぎ星野のメンバーに呼びかけました。また、急きょ、デモの前に定例の星野街宣を入れて「星野デー」としました。街宣では24筆の要望書が集まり、大行進の集会とデモでは3筆集まりました。改憲阻止と星野さん解放は一体の問題です。
集会では、高経大OBの3人の方と青年労働者、東北大自治会の方が熱烈に「星野さんの仮釈放」を求めるアピールをしました。デモの途中に2回、十亀弘史さん作詞の『とり戻そう 星野』をみんなで意気揚々と歌いました。圧倒的な注目でした。
以下は、集会での高経大OB Aさんの発言です。
私は高経大OBのAです。私はいつもこのデモに参加して思うわけでありますが、仙台駅前で解散する時に『ああ、今日もよかった!デモ行進してよかった!』という喜びを感じています。本日も感じています。
私が星野さんと知り合ったのは1966年、同じバレー部で半年間一緒に汗を流したものです。その後、星野君も私もそれぞれの道を歩み音信不通であったのです。
3年前に片平市民センターで星野絵画展があることを知り、なぜ星野君が41年も獄中にいるんだ?わからなかった。
そのときいろいろな資料をいただき、1971年11月14日の渋谷闘争のことを知り、沖縄返還協定が沖縄基地をまさに固定化する欺瞞(ぎまん)的な協定であることが分かりました。そのことから、普天間から辺野古ということと沖縄県民が今、闘っている状況であります。そのことによって星野君たちが闘った沖縄返還闘争が、いかに正しかったものかわかった次第であります。
それから裁判記録につきましては、昨日もさらさらと読んできましたけれども、星野君がなぜ逮捕されたのかということや、星野君が当時着ていた背広の色のことや、あるいは当時検挙された学生の証言の不透明さ。これらを一つひとつ見ていくと、星野君の有罪性はいったいどこにあるんだ!と、私は考えたわけです。
星野君は、今年4月で73歳になります。私の同期の方で鬼籍に入っていく方が多くなってきました。星野君の獄中の様子につきましては、ご夫人の徳島面会記を読みますと、体重が減った、あるいは胃の調子が悪いという様子が書かれています。
こういう中で星野君も私と同じように多くの病気を抱えていて、私も心配しているわけです。なんとしても星野君を元気なうちに暁子さんの元に返してあげたい。
こういう闘いを、私は小さい力ではありますが、参集した皆さんとともに一緒に闘いっていきたい、という決意表明をさせていただきます。ありがとうございました。
































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